夜想日記1

「ガール・フライデー」


名古屋の中心から北へ車で約10分、暗渠になって今は水もない橋のたもとにシャム領事館と称されている煉瓦作りの小さな建物がたっている。シャムというのはタイのことで、そう呼ぶからには昭和以前の建築物で、戦争中には、水島商会が名古屋地区から東南アジアへ武器や軍事物資を輸送する拠点に使っていて、一時、シャムに領事館として貸していた。今は、公共機関が管理していて毎月抽選で借り手が決まるはずなのに、しかも連続して使えないはずなのに、かなりの日数をそこで過ごしている男がいる。使うというよりは過ごしているくらいそこを利用している噂を聞いた。

ふとしたことで、その男、田岡と知りあいになったが、ビンテージ・カーと骨董をちょっと扱っていますと、聞いただけでもいかがわしそうな感じがした。最近のトピックはSMクラブを出禁になったことかな。などと言って、自らそのいかがわしさに輪をかけるのを愉しんでいる節もあった。いつも黒を基調にした服に紫をポイントにあしらっている。創作人形の展覧会を催したかと思うと、少女たちを人形に見立てたドール・パーティで、少女たちを標本箱の中に入れて展示したりする。詐欺師かと思って経歴を調べると、レーサーとして実績があり、ミッテミリアの上位ランカーでもある。

田岡は、シャム領事館の最上階の部屋で、夜景を見ながら少女たちと戯れているらしい。自分の部屋の様にしているので、私物をクローゼットの中に入れて部屋に置きっぱなしにしているらしい。クローゼットの中身は、実は、南米の蝶のコレクションだという人もいるし、SMの道具だという余りにありそうな話しもあった。一度、昼間に田岡に連れられて噂を確かめたところ、実際、その両方があったのには驚かされた。蝶は、南米産のものではなくタイを中心とする東南アジアのコレクションで、領事館時代からの忘れ物ということだ。だいぶ標本箱もぼろぼろになっていた。そのクローゼットの鍵をどこからか手に入れた田岡は、鞭だの蝋燭だの余りに直截な道具をごろごろと無造作に放り込んでいた。

田岡は、夜毎ゲストとしてシャム領事館に招待する少女たちの多彩さには、少々唖然とするものがあり、優等生タイプの冴えない服を着た眼鏡っ子から、スレンダーな制服の女子高生、運動部と思われるジャージ姿の中学生、いけいけの女の子、メイド服の似合いそうなゴス・ロリまで類型がない。コレクターともあろうもの、系統と趣味の嗜好性がすべてと思うがどうもそうではないらしい。




ふと、やまだないとの『ガール・フライデー』の少女たちのことを思い出した。蝶のようコレクションされ愛具となっている少女たちは、奴隷であって奴隷ではない。澁澤龍彦が少女を愛玩物としてオブジェにしてかつ捕らわれもしていた関係と微妙に異なっている。寄生の宿世が交錯しているのだ。共依存の力のベクトルが見えている力学と内的力学が逆になっているというのだろうか。

田岡が少女たちにもてるのは、少女の愛の幻想形態を叶えているからだろう。田岡に言わせると、少女たちはただのお茶飲み友達で、しかも自分はただ彼女たちにこき使われている奴隷だと言っている。本心でも、本当のことでもないだろうが、支配をしながら自分が奴隷と言ってにやりとする田岡は、どこかで少女たちの幻想構造を何かを掴んでいるような気がする。

田岡は、もともとマンディアルグを特集したときからの夜想の読者であり、本読みであり、それはB級の文学にまで及んでいて、ふと水を向けると、戸川昌子の「大いなる幻影」の筋書きをすらすらと言ってみせたりもする。ボナやベルメールやカリントンのコレクターであり、真昼に星が見える幻視者でもある。ちりちりと嫉妬するのは、彼が有数のコレクターであることよりも、たとえば今、夜想がロリータの特集を編集するとしたら、彼の方が編集長に相応しい確信犯であることだ。休みが長すぎて私は黄昏てしまったのかもしれない。