リアリティ

夜想日記6/2003/3/16


 赤く塗られた鉄縁の階段をあわてて駆け上がっていくと、視野の隅にライト・アップされたオレンジ色のテレビ塔が揺れた。
入り口は真っ暗で、戸惑っていると、受付の女の子に懐中電灯で顔を照らされた。


「遅かったですね。」
 真っ暗なフロアに踞るようにして田岡の友人の沙樹がテレビを見ていた。
「あれ、一人?」
「田岡さん遅れるって」
 振り返りもせずに画面を指さした。
「こんなホステスっぽいの着てる子なんて今いないよね。」
「図鑑の絵と一緒だよね。図鑑の絵は、その種の特色を全部集めて典型的なものを描くからね。もっともそれらしいけど世の中には存在しないもの。それと一緒だね。」

 昨日、見たOM2の『青い死』でちょうど逆のことを感じたのを思い出した。暗い部屋に大きなテーブル、数脚のパイプ椅子、ゴミが一杯に入った袋が三袋。小太りの男がぶつぶつ言いながら煙草をすったり、ペットボトルで水を飲んだりする。段々、取り憑かれるように動きが激しくなってきて、椅子に座って反り返って倒れたり、ゴミ袋を被ったりしていく。潔癖症だけど、ゴミ・アディクションでゴミを散らかしてしまう。
 次に出てくる男は、手紙を読み上げながら、鋏で手紙に四角く窓を切り抜いていく。筒状にして立てるとビルのように見える。何通も何通もそうして窓をあけてはビルにしていく。机に並べて光をあてると壁にニューヨークのビルのシルエットが浮かび上がる。今度は、手紙を紙飛行機に折る。それを手にした男は、ぶうぉぉぉぉーとジェット機の轟音を口まねして、封筒のビル群に向かって突っ込んでいく。紙飛行機が封筒にぶつかった瞬間、轟音がして、神戸の震災のアナウンス、そして9・11のアナウンスが流れる。男は驚いて机から離れ自らをさいなむようにして身体を叩いて暴れだす。
 ドラエモンのお面を被った女は真っ白いヘッドフォンをしている。ヘッドホンのジャックを床に差して音を出し、壁に差して音を出し、いろいろなところに差しては音を出していく。自分の周りにすべて音の電波があるんだろう。
 舞台奥の梁の上には、下のフロアで行われる一部始終を見て微妙に反応する女の子がずっと坐っている。すべてがその女の子の夢?という風にもとれる。
 登場人物は夢魔の世界に生きている? いや夢魔の方が現実という世界を描いているのか?
 現実が妄想よりも変態的な貌をしているなら、夢も現実も同じこと。どちらにもリアリティがある。妄想の世界で強く思えば思うほど、現実はそのように変質する。
 ひりひりとするようなリアリティを感じた。演出家の手法はリアリティをめざしながら、どこか典型的で象徴的だ。言えば図鑑のようなものだ。
 宮崎駿はアニメーターに典型的な風景を描くな、自分の体験した故郷なりの風景を描けと指示している。OM2には俳優の体験的風景が描かれているような気がする。同じようなことをしているのではないだろうか。
「ねぇ、その真っ赤な本、面白いの?」
「ああ、これ? 村上龍の」
「『自殺よりはSEX』ね。面白そう……」
「いやぁ青春出版社の若者向け人生相談、タイトルは売るためで、超真面目な説教本だよ。」
「ふーん」
「うん。村上龍は、凄くあっているんだけどね、たとえば前衛というのは制度の恐さを知っているものが、制度に抗する生命力をうたいあげるもの、って言う具合にすぱっと論じている。女子高生の行動についても、愛についても凄くあっていることを切れ味良くいうんだけどね。村上龍はサッカーやF1やテニスでも切れ味のあるあっていることをいう。ふーんって感心するようなことなんだけど、何か違うんだよ」
「何が?」
「リアリティがない。村上龍が描く援助交際の女子高生は典型であっているんだけど、いそうでいない女子高生のような気がする。」
「……」
「そうか、だから村上龍の撮る映画はつまんないんだな。これほど切れのあるエッセイを書きながら、小説にはどこかリアリティがないのもそういうことか。うん、取材して書いている小説だからそうなっちゃうんだろうな」
「何ぶつぶつ一人で言ってんのよ。あ、田岡さんが来た、連れの人凄いね。額にインプラントしてピアスしてる。カッコ良い。」
「今日って……」
「カッティングしてもらうのよ、それをパフォーマンスにして見せるの」
「え、じゃぁここは舞台なの?」
「そうよ、あなたは時間つ・な・ぎ」

 

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