解体

夜想日記7/2003/3/21


 旧同潤会大塚女子アパートの外見は始めてみたときとほぼ一緒だった。3月21日、三連休の初日でガードマンも立っていなかったので工事中のシートをめくって中を覗くと、解体はかなり進んでいて、躯体を残すのみだった。外壁を奇麗に残して解体は進んでいたのだ。壊れていない階段を巧く組み合わせて屋上をめざした。途中、廊下を歩いて反対側に出た。
すえた匂いがするのに気がついた。汗がしみ込んだ衣服を何日かして嗅いだときのあの匂いだ。それはもしかしたら部屋の畳にしみ込んだ住人の汗の堆積かもしれない。私には建物の体臭にも思えた。『WAVE』の廃虚特集の時にいろいろな廃虚に入ったが、こんな体験ははじめてだ。建物がまだ生きているのだ。
気にかかって洋室の階も通って見たがやはり同じような匂いがする。人の住んでいる建物、そしてその体臭が残っているうちの解体なのだ。廃虚と呼ぶには余りに生命体に近すぎる。
屋上にたどりつくと日光室と呼ばれていたサンルームも壊されていた。三連休の東京の空は真っ青で雲もなく晴れ渡っていた。屋上から見る大塚の風景は、はじめてここに来たときと何も変わらなかった。おそらく保存・再生という目的の運動はこれで終わりを告げるだろう。公開見学会も難しい。返答をのらりくらりと伸ばしながら、その実、決して保存・再生を検討しようとしなかった東京都は、もちろん非難されるべきだが、アクションを具体的な成果につなげられなかった私たちの運動自体も反省することが多い。
想いは、20日にはじまったイラク戦争を阻止できなかったことへとつながり、戦争を否定しない都知事であることと、アパートが解体することは間違いなく重なりあってくる。
日本の態度についてブッシュは安心しきっていた。国際世論ぎりぎりの中での開戦だから、大きくバランスが崩れたらブッシュは踏み切れなかったかもしれない。その鍵を握っていたのが日本だ。小泉が、ひいては日本が戦争協力をしないと言明すればアメリカは戦争に関してかなりの窮地に陥った可能性がある。それを今できなかったことが悔しい。
9・11、そして第四次世界大戦の開始をもって世界は確実に変化した。その中でドイツは非戦を主張し続けた。ヒットラーの存在のために、あの国はずっと戦後を引きずり続けてきた。そしてドイツの戦後は次の大戦に参加しないことで終わったのだと思う。日本はアメリカとともに19世紀の帝国主義に戻った。信じられないアナクロニズムである。
屋上から下を見ると外壁だけ残して内側がきれいに壊されていた。バグダットの無数の建物がアメリカのピンポイント爆弾でこのように破壊される。衛星で照準を合わせた爆弾は建物の中心に落ちていき内部を破壊する。呑気に屋上に立っている私と、バクダッドの破壊された建物に佇む市民との間には、想像を超える乖離がある。
グローバルになっている世界環境の中で、確かに乖離はあっても、他国の現実はけっして他人事ではあり得ない。止められなかったとことは、賛同にも等しい重大な過失だろう。今日、戦争や解体を止められないうことは、過去の世界大戦を民衆が止められなかったということを肯定してしまうことになる。止めてはじめて過去の戦争を過ちだと断罪できるのだ。
ブッシュが言うように、小泉が言うように、この戦争が正義ならあるいはやむ得ないことなら、過去、日本の関与した戦争は正当化できる。これを止められないのなら人類史は戦争の歴史になる。それはもうやめたはずではないのか。なのに情報を操作しながら世界を戦争に巻き込むブッシュという男がいてその暴挙をだれもとめられない。彼はヒットラー以上の災禍を世界にまき散らす専制君主である。我々は何をしたらよいのか。反戦デモのニューヨーカがインタビューに答えていた。『ニューヨークにも戦争に反対の人間がいることを世界に知ってもらいたくて』と。違うだろう。戦争を止める気なんかない。自分の免罪のためにデモをしているのだ。同じく私もアパートの屋上で呑気にたたずんでいる場合ではないし、反対を表明するだけでは自己弁護にしかならない。
必要なのは有効な手だてなのだ。いくら良心があってもそれが役にたたなければ意味はない。

 

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