本の屍体そして夜想復刊2

夜想日記8/2003/4/30

 

『血と薔薇』が復原されて、何かと話題に上ることも多いので、久しぶりに本棚から取りだして眺めてみた。当時の印象が甦える。レイアウトや内容の印象は、今ひとつ。双方ともにクォリティのばらつきがある。芦川羊子さんも、暗黒舞踏の踊り手というよりは、ヌードモデルのようにして登場している。
同時代の他のもの、たとえば暗黒舞踏の初期のポスターと比べたら、ちょっと呑気な感じがする。暗黒舞踏のポスターは、デザインも意匠も印刷も目を見張るものがある。こっちは今見ても凄いものだ。と言うか、今はこういった贅沢なポスターはできないだろう。気持ちのことを含めて。ペヨトル・ファイナルの時に、ささめさんが展示してくれた暗黒舞踏のポスターを初めて一覧してみたが凄かった。特に好きなのは、高井富子さんのポスターで魚の絵が描いてある。盗みたいくらい魅力的だった。
当時の『芸術生活』や『話の特集』の別冊特集でも『血と薔薇』ぐらいの内容やレイアウトを見ないわけではなかった。当時の雑誌はかなりレベルが高かった。にもかかわらず『血と薔薇』だけが伝説の雑誌になったのには、このなんとなくしつらえそこなっている感じがあったからだろう。この完ぺきでないところに、同時代性がふんだんに盛り込まれていたのだ。
雑誌の中で創作が行われている、いろいろ試行錯誤しているからばらばらなのだ。そこに同時代を引っ張る気持ちが現れている。雑誌の良さというのは、できの良さに余り関係がないのだ。しつらえそこなっているという感じが、まさに創成期のクリエイティブなのだ。手探りで、感覚が何かをつかんでいる。
たぶん初期の『夜想』もそんな感じだったんだろうと思う。手前みそだけれど。今見たら呑気で素人っぽい、ある程度、支持されたのはそういうことだろう。復刊する『夜想』がりっぱにならないように、『血と薔薇』のようなしつらえない創造性をもてるように、改めてスタ−トを切りたいと思っている。

 

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