寺山忌

夜想日記10/2003/5/04

新緑の匂いは不穏な死の予感を孕んでいる。その匂いが心地よい年もあれば、重く鬱のようにのしかかる年もある。5月の新緑は死の匂いに充ちている。

復刊夜想の取材で作家のアトリエに向かう途中、細い路地を抜けたところで河北総合病院が見えてきた。不意を突かれたような気がした。今日は5月4日、寺山さんの命日だった。忘れていたわけではない、盛大に行われている寺山修司没後20年のイベントを見に行っていたから。でもふっと目の前に寺山さんが立ったような不意打ち感があった。そう、寺山さんはいつもぼくの虚をつくようなところがあった。

あれから20年も経ったのだ。時のたつのほんとに早い。小さく手を合わせた。ぼくが地上から消える前にぼくは寺山修司特集を組むのだろうか。

アトリエは自宅兼用で、アパートの2室をぶち抜きで使っている。和洋折衷のいい感じのアトリエだ。絵は、なかなかのお気に入りで、女の子がナチごっこをしている特集にぴったりのドローィングがあった。何でもマリリン・マンソンのベーシストが購入予定とか。とすると新加入のトム・スコルドが買うということか……。 いろいろなものの符牒があいはじめた。良い兆候だ。

帰り際に書店によると岡崎京子の「ヘルタースケルター」と「うたかたの日々」が山積みになっていた。他の著作も並んでいる。岡崎京子は旧作を連載していて人気がある。凄いな。でもぼくの好きな『エンド・オブ・ザ・ワールド』がないのが少し残念。

岡崎京子が事故にあったのは5月19日だった。たしか1996年の。ペヨトル工房の「異形の愛」の表紙をお願いしていてそれは事故でかなわなかった。あの事故は、ぼくと岡崎京子の縁をも切ってしまっていたのだ。

ぼくは、5月に夜想の再生を始めた。おそらくまったく異なった夜想になるだろうけど、新生夜想をいろいろ設計している。状況はかなり悪い。でも何枚ものマイナスカードを引いて、プラスにするのがぼくの特技だった。今回もその力が降りてくるのを期待したい。

占いでは今までの風が良すぎたのよ、これからは努力しなさい、そしたら報われるからと言われた。確かにね。

 

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