纏足靴

夜想日記11/2003/6/02

 

掌に載せてもまだ余裕のある纏足靴が五足、ギャラリーに並んでいた。
80年代、ボイスにはじまって、トニー・クラッグ、ダニュエル・ビュレン、ハミッシュ・フルトンと現代美術を紹介してきたかんらん舎は、そのことで伝説の画廊になったが、今は、DMだけで告知しながら展覧会をしている。

使い込まれた纏足靴は、丁寧に履かれていたようで布が擦れていたが清楚だった。纏足は匂いがすると伝え聞いていたので思わず嗅いでみたが、持ち主の記憶を何も残していなかった。一時期、纏足のことばかり考えていて、華僑総会に許可をもらって普度勝会(ふどしょうえ)に入ったことがある。お祭りには、纏足の老婆たちも訪れ、普通に振る舞っていた。言われているようなよちよち歩きではなく、背筋を伸ばしてポワントで歩くような美しい姿だった。遠くから見るかぎり手に入るほどの小さな足という感じはしなかったが、こうして纏足靴を見ると、たしかに纏足の足は軽々と手のひらにのる大きさなのだ。

かんらん舎の大谷さんは、一時、画廊を閉め、鉱物を蒐集した。その後貝を集め、いまは、沖縄の古代布を集めている。芭蕉布で名高い古代布のデザインは、モンドリアンからパレルモまで近代美術から現代美術の抽象作家を思わせるものがたくさんある。もちろん布の製造年度のほうが古い。個の表現を意識していない分、すきっとした切れ味がある。小さな模様ひとつひとつを手で刺繍したものもある。生活に使うものにこれほどの意匠と手間と技術をかけるていた時代があったのだ。なんと贅沢な。

古代布の再現は難しいらしい。それでも後継者への技術伝授はトライされているようだ。本土の方はどうして継承を考え無いのだろう。ヨーロッパだって継承は当り前のこと。突然、大谷さんと継承の話になった。イタリアには製本の学校があって手で製本できる人たちがいまでもどんどん養成されている。だから本つくりの基本は崩れない。寺山修司の演劇は極端に言えば継承されない。でもピーターブルックは、シェークスピアをベースにする伝統の演劇の上での前衛だから、間違いなく継承される。すぐにされくても歴史にきちんとカウントされて、いつでも誰でもその後から始められる。

日本は常に一世一代だから、誰か才能ある人が頑張っても、次の人はまた最初からはじめる。だからその時、等身大の最大限までしかいかない。家制度を組めば伝承するがその場合、新しいものを足さない。それが日本の業だからしかたがないと言えばしかたがないことだが、かなり辛いものがある。かんらん舎も一世一代だねとぼくは笑った。

職人芸として伝えられきたことのいくつかが、この不況の日本のなかで喪失していく。京都では割烹と祇園が壊れた。(もちろん私見なので異論もあるだろうが) 
纏足の存在したのはそう遠い世界ではない。しかし匂いもなくなった纏足靴を掌にのせていると、それは遥か昔のことに思えることもある。その遥をいまにつなぐのは智だろう。智というものが伝承を支えるのだと思う。

消費するのが大好きな国、日本は、智も消費してしまったのかもしれない。

 

 

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