夜想復刊

夜想日記15/2003/9/12



 舞台の仕事でも雑誌でもそうだけれど、でき上がってからちょっと客観的な目で見ないとできあがりは見えてこない。復刊した夜想を早く店頭で見たかった。


 9月1日の朝早く、夜想のフェア用の棚作りをするために六本木ツタヤに向かった。六本木ツタヤは、六本木ヒルズの入り口にあって、スタバとフロアを同じにしている。
 六本木ヒルズは、麻布十番の街を変えた。ちょうど麻生十番に向かって右側の道がなくなっていて、六本木ヒルズの下に消えてしまった。右側の道の先を少し行った左側に、かつて天井桟敷のアトリエがあった。寺山修司の告別式もそこで行われた。ボクは、20代の前半、1週間に1回か2回、寺山さんに会いにアトリエを訪れていた。海外のジャーナリストに日本には『夜想』という凄い雑誌があると雑誌を手に力説してくれたのも天井桟敷アトリエだ。

 しかしそこはもう人口の丘の下だ。
 六本木ツタヤは、消えてしまった道の入り口にあたるところにある。旧夜想は、ツタヤに置かれたことがないのではじめての取引になる。元青山ブックセンター六本木店にいたHさんが、思い切ってフェアを組んでくれた。『幻想文学』の東雅夫さんが組んでくれたゴシック・ブックリストと僕のゴス・ブックリストを元に組んだフェアだから相当に濃い本が並んでいる。ドクィンシーの叢書もある。売れなかったら買って帰ろう。
 平台に夜想を積み上げた。うまくチューンがあった気がする。久々の感覚だ。朝から店内はにぎわっているが、客層がつかめないのでちょっと不安だ。

 新宿タワーレコードは、夜想コーナーを作ってくれた。担当のHさんがポップを作ってくれて素敵な平台ができている。売れ行き好調のようだ。レコード屋さんが主力なのも時代を感じる。

 復刊して思ったのは、ペヨトル工房解散時のネットを通じた人のつながりが、人が変わったり形が変わったりはしているが、相変わらず大きなサポートになっていることだ。復刊をhpに告知すると、書店員さんからフェアとか仕入れの申し入れがあって、今回の配本はそうした店が中心になっている。イベントを手伝ってくれたメンバーも営業をしてくれた。その店がまた大いなる下支えになっている。


 夜に東京で営業をしてくれているHさんのところへ行った。表参道のイデァ・ブックスの隣のカフェでこれからの営業戦略をいろいろ話して作戦を練った。テラスは残暑の熱気がこもっていたが風は爽やかだった。実は、Hさんが六本木ツタヤを開拓してくれたのだ。イベントの企画も話にのぼった。見晴らし台のようなテラスから街を見ると、六本木ヒルズがひときわ異様な姿を見せていた。


 ふと幻想が脳裏を走った。描かれた未来都市。アトム生誕に追いついてしまった未来の現在という感じ。過去に描かれた未来が現実になった、そういう未来都市。六本木ヒルズが監視タワーのように見える。ブレード・ランナーの映画がそのまま生活になっている表参道。ここは奇麗にデザインされているが、ボクには屋台村のように思える。圧倒的にポジティブな意味でだ。喧騒のデスジャンク・スラムから見上げるタワーのなかには管理された現代美術がある。ここ、ジャンクスラムには、次の世代の蠢きがある。何かがはじまるかもしれない。
 書籍の販売ルートはぼろぼろになっているが、決して捨てたもんじゃないぞ。いま紙のメディアをもつということは……。などと思いはどんどん拡がっていくのだった。

 

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