天使の羽



氈@ 天使の羽はクレゾ−ルの匂い


クレオソートを塗装した黒い床板をぎしぎしと降りていくと、黄昏亭の地下室は、いつのまにか改造されてバーになっていた。塗り立てなのか油の匂いが強く鼻を突く。目が慣れていないうちにバーの暗闇から声がした。
「久しぶりじゃないの」
慌てててボクは答えた。声の主は田岡だった。丸眼鏡のガラスが少し濁っている。ここは湿気が強い。
「夜想復刊と金子國義カードの販売促進で手いっぱいで……」
「忙しいとか言って、それにしては大阪で夜会なんぞ催して、私にも案内をくれればいいのに」
「いや、あの……秘密の……」
と、言いかけて止めた。秘密の夜会ならますます田岡のもちぶんだ。
「京都造形大学の教科書も作っていて、忙しくて案内を差し上げられなくて……申し訳ない」
「楽しかったらしいじゃないの」
田岡は許してくれそうもない。
「ゴスロリのロリによってるイベントですから田岡さんの趣味じゃないですよ」
「カッティングはやったらしいじゃない」
情報はきちんと掴んでいる。まいったな。
「いやぁ、ボクも良く分からず連れていかれたもので……だって表には今野裕一講演会となっていて、え、講演するの、話が違うよと慌てたら、いきなり暗転になってね、どうなっているの?と聞こうとしたらスタッフは、白塗りの巡礼姿で、ビックリですよ。公共機関の施設であんなことしたら駄目ですよ。」
口早になってますます言い訳じみているな。
「やっぱり面白そうじゃないですか。」
「いやいや、それなら今度は田岡さんのギャラリーでやりましょう。田岡さん主宰でね」
ふ−ん。という顔で本気にしていない。きまづいという感じの一歩手前のところで
「教科書はどんな感じなの?」
ようやく田岡はようやく突っ込むのを止めてくれた。
「結果としてこれまでやってきた25年の集大成インタビューになったかもしれませんね。創造のこつとか、秘密はなかなか明かさないものですけど、みなさんそれを話してくれて……結果として充実したものになりましたね。」
「どんな人にインタビューしたの?」
「畠山直哉(写真)、藤本由紀夫(アート)、沢田祐二(照明)、渡辺弘(舞台プロデューサー)ミルキィ・イソベ(デザイン)大野木啓人(ディスプレイ)……ぜひ若いクリエーター志望の人たちに読んでもらいたいですね。」
「いいですね。でも教科書でしょ、大学生でないと読めないじゃないですか。」
「いや、1000部だけ、書店販売します。書店でちょっと覗いて見てくださいな。」
黄昏亭の地下室は、油と煙草と強いアルコールの匂いが充満している。匂いに弱いボクは、ちょっと脳が気持ち悪くなってきた。匂いの中にクレオソートではないオイルの匂いを見つけた。
血の匂いを隠すために強い匂いの香水を撒いているような嫌な感じの混じり方だ。
「この油の匂いって……」
呟くと田岡と話をしていた大沢が代わりに答えた。
「田岡さんの自動人形のが床下にしまってあるんだ。錆びがきてないか久しぶりに開けて点検したんだよ。人形展の地方巡業に追加出品される予定なんだ。」
もしかしたらあれ? 『機械仕掛けの天使』、一日だけ、A画廊に出展されて誰かがすぐ買い取って会場から持ち去ってカタログにも載っていない幻の人形。Sの後期の名作。聞いてみる。
「A画廊に出てすぐ消えたって言われているあれ?」
田岡はにやりと笑っただけで何も答えなかった。


 

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