解散日記23

 9月28日

 

あんたはまるで、エトランゼ。いつも雨の夜にやってくる。

石井隆の「雨のエトランゼ」が、20年ぶりに甦った。初出のときに印刷屋のミスで、ページが大幅に入れ替わっていたのをもとのように直し、手を入れ蒼の哀しみを湛えてかえってきた。

ボクが、石井隆にはじめて会ったのは、夜想を創刊する以前のことだから、もう軽く20年以上前、もしかしたら四半世紀も前のことになる。夜想はまだ生まれていなかった。ボクは、「現代美術」(かっこつきげんだいびじゅつと読むんですけどね)の真木画廊、田村画廊を1週間に1回巡回していた。そこで今で言うギャラリストをしていた北沢憲昭にあって仲よくなった。

真木画廊・田村画廊は山岸さんという心意気ある人が経営していて、「展評」という一人が原稿三枚で作品評をするペーパーがあった。その担当をしていた北沢に書くことを勧められて、生まれてはじめて人に読んでもらう文章を書いた。

その北沢憲昭が吉田英樹などととも現代美術の雑誌「象」(しょうと読みます)を立ち上げることになった。夜想と同じA5版のかなり立派な雑誌だ。その雑誌に原稿を頼まれたのが、石井隆論だった。論の書き方もよくわからないので、原稿を書きたいので、話しをしたいと石井隆に電話をした。生意気だし、ほんとに怖いもの知らずだ。でも石井隆は会ってくれた。

一生懸命原稿を書いた。石井隆の作品は、雨が降っている。画面を切り裂くような雨が降っている。雨に打たれている人がいて、その風景が石井隆なのだと書いたような気がする。

石井隆には、「死場処」という画集があって、屍体が美しく或る風景を描いている。ああ、これだよなとしか言い様もないし、感じようもない、絶対的なロマンティシズムの原点である。で、風も吹いていて、匂いもして、そこに溶け込んでしまいそうな気持ちにさせる。その「死場処」の一枚が一作品になっている感があって、石井隆の作品は風景一枚に収斂されるように思えた。石井隆は死場処の風景を描いていると。

「雨のエトランゼ」を読んで、ああ石井隆のもっとも核になる感覚を見落としていたことに気がついた。確かに風景もある、雨もあるのだが、水底に沈んで浮遊している感覚が強く存在しているのに、はじめて気がついた。風景は外から見ている視点である。しかし水底から歪んで水面を見るような視線は、内にいてはじめて描かれるものだ。「雨のエトランゼ」は、屋上から身を投げた名美が、落ちていくときに硝子越しに村木と視線を交わす風景は、村木から見た風景として描かれているが、また名美からみた風景でもある。相互の感覚が一瞬にして入れ替わるような映画的な手法でもあるが、またそれは、相手と自分を同一化するロマンティシズムの究極でもある。(だんだん文章が昔のトーンになってきてしまった)

そして「雨のエトランゼ」は、もともと海の底で起こったことのようにボクには思えてくるのだ。都市全体が水の中に沈んでいて、ビルの屋上が水面であり、水に身を投げた名美は、海底に向かってゆっくりと沈んでいく。そのゆらゆらと生きた屍体になって墜ちる名美を、村木はもともといる水底から見上げているのかもしないなと。

新版の「雨のエトランゼ」は、石井隆の傑作中の傑作だと思う。一度、読んで分かったと思っている人もぜひ、もう一度、目を通して欲しいと思う。

で、夜想はボクが石井隆論を書いた、「象」から生まれるのだ。その話しはもう書いたから……ここでおしまい。

「雨のエトランゼ」は、おんなの街1(ワイズ出版1800円)に収録されている。



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