流浪に日記3

「三脚の位置」

 いま、「踊りに行くぜ!!」のビデオ撮影をしながら、久しぶりに現場体験をしていて楽しい。この20年、ビデオの現場にはよく係わってきた。84年にヨーゼフ・ボイスが来日したときには、寝るときとトイレに入っている以外、彼に張り付いて 製作風景を記録をし続けた。同じ頃、RTVというビデオのグループをディレクションしていて、環境ビデオの撮影や作品素材の撮影に立ち会ったりもした。

 RTVは、都市や戦争の風景を、ビデオの数コマ単位にカット・アンド・ペーストして主映像を作り、それをライブ映像とスイッチングしながら会場に流す作品を作っていた。その素材を撮りに夜中の川崎工場群やゴミ処理場を徘徊した。RTVの表現は、今で言えば、DJVに似ているのだが、ローリー・アンダーソンを越えるようなアート・ユニットを想定していた。

 踊りの舞台を撮影するときに、一緒に仕事をしているSさんが最も気を使うのは三脚の位置だ。3台のカメラを持ち込んでいるが、三脚の位置はすべてSさんが決定する。彼は、編集のことも考えてセッティングしていく。具体的な映像がどうなっていくか、動きの方向をどうまとめるか、Sさんにはもう最終結果が9割がた見えている感じだ。三脚の位置は、F1マシンのシャーシー設計のようなもので、この素性が良くないと後でどうしようもなくなる。

 三脚の位置というと簡単な言い方だがそこには、もう少し深い意味がある。Sさ んも言うのだが、三脚を立てて会場に入ることが既に、作品と会場に大きな影響を与えているのだと。つまりカメラ自体が環境の一つの要素になってしまうということを考えてセットしろということなのだ。三脚の位置が、我々、撮影隊の視座なのだ。それは舞台に対する我々の姿勢であり、態度である。

 ダンサーたちは、撮影された映像がDVDになることを知っている。意識していないようでも意識はしている。なかにはカメラに向かってVサインをするダンサーもいる。カメラがそこにあるから踊りもそう変化するのだ。カメラは、撮影現場の状況をカメラで変えてしまうのだということをしっかり覚悟して引き受けなければならないのだ。そこを逃げてはいけないし、透明な第三者のような顔をしてもいけない。今回はドキュメンタリーとしての要素を入れていこうと思っているので、三脚の位置は重要だ。

 思えば勢いでビデオ映像と係わって来たような気がする。思い返すと冷汗がでる。三脚の位置という話しは、今、まとめて「テレビの自画像」桜井均/筑摩書房で読むことができる。桜井均は、SさんのNHK時代の先輩で、ドキュメンタリーの手法を徹底的に仕込まれたらしい。ものごとを記録してまとめるということがどういうことか、今一度原点に帰って考えさせられる本だ。