解散日記2

 5月16日

何が悪かったんだろうと時々、思うことがある。休止宣言をして何冊かの本を出しながら、低迷にうめいていた。

今日、解散のフェアの打ち合わせで、リブロに出かけたら吉原さんともそんな話になった。ペヨトル工房のようなバックナンバーを売って成立している出版社には、新刊中心の棚作りがこの辛さの一つの要因になっているだろう。

バックナンバーの棚を作ってくれていた見識ある、そして本の好きな店員さんが、いなくなってしまったことも大打撃だ。たとえばある店では夜想は5冊しか定期的に売れない。でも好意的な店員さんが居ると20冊の平積みをしてくれる。そうすると必ず夜想を買う5人の人はすぐに気がついて買ってくれる。店員さんとしてはこれで予定完了なのだが、そのまま置いておけば誰か始めての人が買ってくれるかもしれない。そうして読者を増やしていく。5冊売れるから5冊入荷すると、平積みできず本棚に入ることになる。そうすると買うべき5人のお客さんも気づかないということになる。この積み上げが大きいのだ。売れるか売れないか、伸びるか伸びないか。半分は書店員さんの意志である。

もちろんペヨトル工房の本自体が今の若い層に受け入れられていないということもある。20代の人はうちの本に興味を示さないという傾向がある。はじめて会った人で夜想っていって知っていたら30代以上……。なんて笑って言う人もいる。

吉原さんは、リブロ池袋でずっと店頭指揮をしていて、後にリブロ浅草を立ち上げて、絶対成功しないと言われてた浅草での大型書店を成功させたすごい人だ。ペヨトル工房は、浅草では一冊も売れなかったのだが、リブロ浅草ができて以来、浅草でもうちの本は売れるようになった。青蛙房という江戸もの、歌舞伎もの、落語ものを出しているものすごくコアな出版社の品切れ本を倉庫から引き抜いてきて一大江戸コーナーを組み上げた。ボクもいそいそと買いに走ったものだ。

その吉原さんが、リブロでペヨトル工房に最後の引導を渡してくれる。うれしい。こんなに愛されているのに、止めることになって本当に申し訳ないな。と思う。著者の方々にも読者の方々にも。また復活して下さいよね。何かの形で。と言われた。

はい。ボクはそれだけ答えてリブロを後にした。



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