解散日記9

6月10日

 

 

皓星社に入社して2年目の人からメイルがあって、そのメイルにHPのアドレスがあったので、行ってみると立派なHPだった。すごいな。頑張っているなぁ。

皓星社は、ペヨトル工房が、まだ株式会社にもなっていない、出版が何にも分かっていない時に、いろいろお世話をしてもらった会社です。口座も貸してもらった。本の作り方も教わった。最初は発行ペヨトル工房、発売皓星社でスタートした。藤巻修一さんという人が代表で、神田村と総称される、小さな出版社、小さな取次の中で、どうやったら良心的少部数の本を出せるかということを考え抜いていた人で、ボクは結果としてこの人に出版というもののすべてを鍛えてもらった。

印刷会社も知らなかったので紹介してもらったし、取次というものさえ知らなかったので、それも教えてもらった。神田村には、本当に生き馬の目を抜くような人たちが跋扈していて、印刷機をもたない印刷屋さん(ブローカー)もたくさんいて、下手すると簡単にだまされることもある。上質紙といってもメーカーによってピンきりで、こっちがメーカーから買って入れたはずの上質紙が、流されて違う安物の上質紙に変わっているなんていうことは、いくらでもあった。

そんな人たちの中で、どうやったら、生き抜いていけるかと考え続けて動いたので、ボクも二、三年もするとたくましくなったと思う。ゲリラ的な手法は、この時代に培ったものだと思う。でも出版は究極、地道な努力というか、書店営業がすべてなので、ゲリラ的な方法も部分的にしかきかない。地道とゲリラのバランス具合も神田村でおぼえた。皓星社と藤巻さんがいなかったら、ペヨトル工房はここまでやってこれなかっただろう。

ボクは、藤巻さんの言われるままに、委託の前に、書店を巡って営業をして、2500部くらいの注文をもらったきた。まだ創刊していない「夜想」の注文をとってきたのだ。人と話すのが嫌い、人見知りする、ぶあいそという三点セットのボクは、とにかく必死だった。だから創刊号は、なんと3000部ぐらいを配本したと思う。

高田馬場の芳林堂では注文を150冊とってくれて、こっちが大丈夫かなと思っていたら、1週間で売り切ってしまった。すごい。と、びっくりしているうちに、三省堂のアネックスで、がんがん売れて、一瞬だけれども、三省堂の売り上げランキングの4位に顔をだした。ひとつ下が、デビューしたてのビートたけしの「毒ガス……」という本だった。すごいでしょ。何か若いときの勢いというのは、考えられないようなことをするもので、でも本人は、それがすごいのか、すごくないのかも分からず。出版を続けるのかどうかも余り考えて居なかった。

皓星社かぁ。懐かしいなぁ。



前に戻る